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健康の知恵袋
紀元前の殷・周の時代にはすでに灸治療は広く普及していたという文献が残っており、ある程度理論化されていたと考えられています。 その頃から、現在の鍼灸術でも使われる「経絡経穴(けいらくけいけつ)」や、身体の成り立ち・機能に基づいた独自の術法は存在していました。
それらは、古代中国の自然哲学「陰陽」「虚実」「気・血・水」「五行」といった考え方で整理されており、後漢時代には、医学書『素問(そもん)』『霊枢(れいすう)』『明堂孔穴鍼灸治要(みんどうこうけつしんきゅうちよう)』『難経(なんぎょう)』などの書物が生まれ、そこには今の鍼灸治療の礎が記されています。 灸治療で見出された経絡経穴は「鍼」の刺激にも適用することが分かり、鍼術法が確立したのもおおよそ後漢時代です。
中国で生まれた鍼灸が日本に渡って来たのは奈良時代。 中国の僧侶が仏典とともに鍼灸の医学書を携えてやってきたのが始まりとされています。 平安時代から室町時代にかけて唐との文化交流が盛んに行われることで、鍼灸は日本社会に定着。江戸時代に入ると、「打鍼術」「管鍼術」という日本式の鍼術が生まれました。
特に細い鍼で痛みを生じないように施術する管鍼術は、全盲の鍼灸師・杉山和一により生み出され、当時、革新的な技術として大変もてはやされました。 管鍼術は、現代の鍼灸術にも一般的に用いられている術法です。