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第6回:最悪の上司が、反面教師として教えてくれたこと

不登校、高校中退、そして鍼灸の道へ……。逆境の青春時代を乗り越え、「公のために尽くす」ことを信条にして、ビファイン治療院グループや保育園ベビーエイトなどのさまざまな事業を形にしてきた宮内あきら。これまでに味わってきた葛藤を打ち明けながら、逆転勝利を実現した人生観を綴ります。

独立を目指すために不動産会社へ就職

人間関係に恵まれ、安定した日々を過ごした大学時代。あまりの居心地の良さに、卒業まで5年かかってしまいました。

それまでの私の歩みといえば、高校を中退したり、勢いでオーストラリアを放浪したりと波乱万丈の連続。それが故に鍛えられ、タフになったと思っていました。しかし楽しく過ごした大学時代に、私はある意味で「牙を抜かれて」しまったのでした。

大学生活が終われば社会人です。私も周りの友人たちと同じように、ごくごく普通に就職活動をしました。考えていたのは「将来的に独立を目指せるような業界で自分を鍛えよう」ということ。恵まれない家庭環境で育った私には、誰にも頼らずに生きていきたいという思いがありました。最終的に選んだのは、実力本位の世界であり、経験を軸にして独立することができると思われた不動産会社です。もちろん、厳しい世界であることも承知していました。

しかし、いざ入社してみるとそのハードさは予想をはるかに上回るものでした。私が配属された部署の上司は、非常に厳しいマネジメントスタイル。日頃言われるのはとにかく「目標を達成しろ!」「売れ!」という話ばかり。遅い時間まで延々と続く長い会議は、上司から説教されるだけの場でした。

仕事を教えてくれない上司と職場に不満を溜め込む日々

経営者となった今も、私の原動力となっているのはあのときの「怒り」だと思っています。

その上司は、職場は、あまりにも仕事を教えてくれなかった。「仕事は教わるものじゃない、先輩を見て盗むのだ」という、昔気質の職人のような世界だったのかもしれません。それにしても、先輩たちは自分の業績を上げることに必死で、新人に接する余裕などそもそもないように思いました。

「こんなことでいいのか?」「自分はここで本当に独立を目指して成長できるのか?」

気づけば私は、不満とストレスの塊のような若者になっていたのです。

不動産営業に求められる知識は多岐にわたります。ただセールストークを磨けばいいというものではありません。水道管やガス管の構造を知っていなければならないし、役所での謄本の取り方などのこまかな知識もたくさん必要になります。

その会社では、そうした知識は教わるのではなく、先輩の使い走りをしているうちに自然と覚えるのが流儀でした。自分が何をしているのかもよく分からないまま、使い走りや飛び込み営業を続ける日々。そんな状態で2年が過ぎ、私は25歳になりました。

「俺は何もできないまま、こんな歳になってしまった」

仕事での成長感など、微塵も感じられませんでした。大学時代からずっと付き合っていた彼女がいましたが、将来のことを真剣に考えることもできなかった。金の問題ではなく、「自分は仕事ができない」という事実が引け目になって、結婚を前向きにとらえることができなかったのです。

感情だけで仕事を辞めてしまう若者の気持ちは分かるけれど……

この経験は反面教師として今につながっています。私は入社した新人スタッフには、とにかく付きっきりで仕事を教えるようにしています。

「分からないことがあったら何でも聞いてください」と言われたところで、最初のうちは「何が分からないかさえも分からない」はず。かつての自分がそうでした。だから、「新人スタッフが今困っていることは何だろう?」ということも真剣に考えます。入社して3年は、人に頼り切りの状態でも構わないと思っています。

私は、不動産会社時代の上司が本当に嫌いで嫌いで、仕方がありませんでした。部下に仕事を教えない。人への当たりは気分次第。だから、ずっとその人と真逆のことを徹底的にやってきたのです。究極の反面教師として感謝するべき相手なのかもしれません。今思えば、悪い人ではなかったのかもしれない。でも、当時の自分にとっては我慢できない相手でした。

職場の誰かが嫌いだという理由で辞めてしまう若い人は多い。その気持ちは、私はよく分かります。しかし、感情だけで嫌って離れ、何も教訓を得ないのはもったいないのかもしれません。反面教師として真正面から見れば、必ず自分の人生に生かされるはずだからです。私の場合は、「なぜこんなに教えないんだ」という疑問と戦ってきたことが今につながっています。

感情だけで辞めてしまうと、後々の自分自身のためになりません。何を隠そう私自身が、その不動産会社を辞めて大きな挫折感を味わってしまったのです。本当はそこでただ逃げるのではなく、「どうすればもっと良い環境を自分で作れるか」を考える機会にすればよかったのかもしれません。

私は「独立できるかもしれない」という思いだけで不動産業界に入りました。実家から逃げてでも続けられるには、手に職をつけるしかないと思っていました。でも何だかんだといって、不動産業界も向いていないと思って辞めてしまった。

当時15倍以上の入学倍率を誇る難関だった鍼灸の学校を受けることに決めたのは、その後のことでした。

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