「足りないものを補う」大切さを知った少年時代 2/2

小学校4年生のときの担任が心配してくれた

「お前は父親がいなくて、すごくわがままに育っている。
 歴史上の人物でも空想でもいいから、父親というものを想像しろ」と。
その頃から歴史上の人物の本をよく読むようになった

読書

おばあちゃんの影響でよく時代劇を見ていた
お侍さんの世界 強い男に憧れた

歴史の本を読みあさり、歴史を学んだことは今にすごく生かされている
10歳の頃から本を読み出した
親にも本ばかり買ってもらっていた 好きな本は何度も読んでいた
10代の頃に特に好きだった、初めて本を読んで感動して泣いたのは西郷隆盛
西郷は徹底的に他人に対して優しい自分の命を投げたしてまで、自分に付いて来てくれた武士たちの気持ちをくみ取って動いた
偉い殿様に会うときにも、貧しい家の子どもと会うときにも態度を変えなかった
そんな「無私の心」にとても惹かれた
泣けるほど感動したのは10代だからこそ、かもしれない

人の感情は天の心と一緒
雨が降ったり雪が降ったりする
だから私は人に何と思われようが、天の心と同じようにしか思わない、と。

戦国武将は、経営者として大切なことを教えてくれる
「天下布武」という理念を掲げていたからこそ、
地方の小大名から覇者に成り上がった
自分が中心となって武力で世の中を治めたいと思うからこそ、
その理念があるからこそ、商売の自由も保障しようとした
織田信長からは、そんな理念経営の重要性も教わっている

しかし、小学校5年生で「花いちもんめ」で一人ぼっちに浮いた存在であることも気付いた

青春時代

中学は私立を受験 しかし受からず、公立中学校へ

高校へ進んでからはちょっとグレ気味
でも筋金入りの不良というわけではない
地元の昔からの友だちと
よく吉祥寺周辺で遊んでいた 軽いいたずらばかりしていた感じ

バイクに乗って、当時はまだ開発前だったお台場周辺を走ったり、
麻雀をしたり、遊んでいるときは楽しかった

2年生、3年生になる頃には周りの皆は勉強
高校にどうして馴染めなかったのか
1年生の終わりに中退した
おばあちゃんの言われて、自分の手で校長先生のところへ退学届を持っていった

自分はとてつもなく弱い 超絶弱い
すごく人見知りだし、今でもそう 不特定多数の人とは仲良くなれない
交友関係はすごく限られていた

地元で友だちと遊んでいるときと
高校での日々は全然違う
本当に馴染めなかった

正直、知能が人よりも劣っているのだと思っている
後年、ADHDではないかと医師に言われたことがある
人の話をすぐに理解できなかったり、集中力が続かなかったりする
高校での勉強が始まり、授業が高度になっていくと
どんどんついていけなくなった
家に持って帰ってノートに書き直しても、先生の言うことが理解できなかった
今でもセミナーなどに参加し、録音したりノートに取ったりしても
全然違う解釈をしていることがある

※水頭症の鍼灸師を雇っていたことがある
知能が劣っていて、鍼灸の試験に受かったことが奇跡だと言われたほど
どこに行っても続かないので…」とリエイトに来た
自身はその子に教えてあげることができた
症状の話を身近な人(奥さんや子ども)に置き換えて説明し、
覚えられるように教えてあげることができた

人よりも理解できない、人より頭が悪いと思っている人に
教えたり、手を差し伸べりするのは好き

学校の勉強で好きだったのは歴史だけだった
ほとんど登校していなかった
すごく手を差し伸べてくれる友だちもいた 今も感謝している

理想の自分と現実の自分が全然違うと思っていた
本で読む織田信長はとても力強くてかっこよかった
そんな風に優秀で、家にも問題がなく、活躍している自分ではない

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