世田谷・下北沢・代々木公園 マッサージ・鍼灸の事なら確かな技術のビファインへ

取材・講義のご依頼はこちら

スタッフブログ

第2回:経営者の哲学と、「織田信長にはなれない」という現実

 【リード(シリーズ共通)】
不登校、高校中退、そして鍼灸の道へ……。逆境の青春時代を乗り越え、「公のために尽くす」ことを信条にして、ビファイン治療院グループや保育園ベビーエイトなどのさまざまな事業を形にしてきた宮内あきら。これまでに味わってきた葛藤を打ち明けながら、逆転勝利を実現した人生観を綴ります。

「周りから浮いた存在」である自分に気づく

「はないちもんめ」という遊び、覚えていますか? 2組に分かれてチームを作り、メンバーを交換し合う遊びです。子どもの頃、何気なく始めたこの遊びで、私はどちらのチームにも選ばれないという悲しい思いをしたことがあります。「自分は周りから浮いた存在なのだ」ということに気づいた瞬間でした。子ども心に、結構なダメージだったのです。

家の中で抱えるストレスを発散するかのように、ガキ大将として「強い自分」を演出し、やりたい放題に過ごしていた子ども時代。そんな私の背景にあるものが、周りから見透かされていたということなのかもしれません。

小学校4年生のときに、当時の担任が本気で私のことを心配し、かけてくれた言葉があります。それは今でも忘れられません。

「お前は父親を知らずに育ち、すごくわがままな人間になってしまっている。歴史上の人物でも空想でも何でもいいから、父親というものを想像しろ」

ひねくれた子どもでしたが、「余計なお世話だ」とは思いませんでした。明治生まれで大の時代劇ファンだった祖母にべったりとくっついていたおばあちゃん子の私は、もともと「侍の世界」に強い憧れを抱いていたからです。その先生の言葉をきっかけに、歴史上の人物に関する本を貪るように読み始めました。

徹底的に他人に優しい男・西郷のようになりたい

それからは親にねだって、本ばかり買ってもらうようになったのです。好きな本は何度も読みました。本を読みあさり、歴史を学んだことは、経営者としての自分のベースを作ってくれたように思います。

初めて本を読んで感動して泣いたのは西郷隆盛。その生き様にやられ、10代の頃は特に好きでした。西郷は徹底的に他人に対して優しい男。命を投げ出してまで、自分を慕って付いて来た武士たちの気持ちを思い、最期までそれをくみ取って動きました。

偉い殿様に会うときも、貧しい家の子どもと会うときも、決して態度を変えなかった。そんな「無私の心」にも強く惹かれました。泣けるほど感動したのは10代の無垢な心があったかもしれません。だからこそ、西郷の生き様が私に与えた影響は大きいのだと思います。

“人の感情は天の心と同じ。
雨が降ったり雪が降ったりする。
だから私は人に何と思われようが、天の心と同じようにしか思わない。“

西郷はそう語りました。誰に何と思われようとも、自分の信念を貫き行動する。そんな男になりたいと10代の私は思ったのでした。

子ども時代に夢中になった歴史の本が経営に生かされている

戦国武将の生き様からも、経営者として大切なことを教わることができます。「天下布武」という理念を掲げ、尾張の小大名から戦国の覇者に成り上がった織田信長は好例でしょう。

 

自身が世の中心となって、武力で天下泰平を実現する。その強い決意が「天下布武」という理念で表現され、さまざまな出自を持つ家臣団を一致団結させる拠り所となりました。商売の自由を保障しようとした「楽地楽座」の政策も、この理念に則ったものです。

 

理念があるから人が集い、団結し、結果を出すことができる。そして打ち出す戦略にも一貫性が生まれ、実りあるものとなる。10代の頃は「理念経営」などという言葉は露知らなかったのですが、織田信長の生き様に興奮し、その人生を書物で追いかけ続けた経験が経営者となった今、ここまで生かされるとは、本当に不思議なものだと思います。それだけ、時代を超えた普遍的な知恵を教えてくれる存在だということなのでしょう。

 

洋の東西を問わず、歴史は本当にたくさんのことを教えてくれます。中国・唐代の皇帝である太宗の言葉を集めた『貞観政要』は、私の経営マニュアルと言える書物。江戸時代の思想家・石田梅岩が起こした倫理学の「石門心学」も、多いに参考になっています。

 

後年、私は学校の勉強についていけなくなって高校を中退してしまうのですが、それでも歴史の授業だけは大好きでした。一方、10代の私に「理想の自分と現実の自分は全然違う」ということを思い知らせたのもまた、歴史でした。

 

本で読む織田信長はとても力強く、格好いい男でした。極めて優秀な頭脳と時代の先を見通す見識を持ち、胆力もあり、若くして活躍している。翻って自分は、とてもそんな人物にはなれそうもない。自分を飾り立ててガキ大将気分に浸ったところで周囲からは見透かされ、「はないちもんめ」にも混ぜてもらえない惨めな少年です。

 

そんな風に、ある種冷静に自分を見つめるようになったことが、人とは少し違う生き方をしようとする志向につながっていったのかもしれません。やがて、青春時代最大の挫折感を味わうのは、10代の半ばを過ぎた頃でした。

織田信長

 

お問い合わせ