
第5回:「穏やかで幸せな日々」を与えてくれた大学時代
Contents1 アルバイト先で味わった「中卒の劣等感」2 「彼女が短大卒なら、自分は四大卒になろう」3 1...
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スタッフブログ
厳しいノルマと、仕事を教えてくれない上司。私が一時期在籍していた不動産会社では、働きがいや心地良さを感じられることはほとんどありませんでした。その環境に耐えかねて会社を辞めた後は、収入を得るために借金回収のための電報を届けるアルバイトをしていたこともあります。
自分はいったい何がしたいのだろう? 20代半ばにして、そんなことを悶々と考える日々を送っていました。
そんなとき、あるテレビ番組が私にきっかけを与えてくれました。それはアフリカで活躍する日本人鍼灸師の姿を追いかけるドキュメンタリー番組でした。
その鍼灸師は病やケガに苦しむアフリカの人々を相手に奮闘していました。「お灸」を使ってわざと仮性の火傷を体に起こし、体の回復を早める。そんな東洋医学の手法を、私は初めて知ったのです。
西洋医学では、医師は科学的な診断を行い、患者の体を治すために薬を使う。東洋医学はまったく違うアプローチを試みるのです。外傷治療だけでなく、病気の予防にも有効であることを知り、「こんな仕事があるんだ」と素直に驚いたことを覚えています。
結局のところ私は、不動産業界でバリバリの営業としてやっていく自信などありませんでした。収入になるとは言え、借金回収のための重い情報を届ける仕事を続ける気にもなれませんでした。
もともと私は、とても弱い人間。そんな自分がやるべきことは、同じように弱く苦しむ人に寄り添うことなのではないか。テレビ画面の向こうにいる鍼灸師の姿を見て、そう思い至るようになったのです。
思い立ってからは、すぐに行動に移しました。鍼灸師になるには、国家資格を得るために学校へ通って学ばなければいけない。しかしその当時、健常者が入れる鍼灸の学校は東京に6つしかありませんでした。各学校の倍率は非常に高く、鍼灸の学校に行くための予備校もありました。
鍼灸師になるための道のりは、出だしから想像以上に厳しいもの。それでもひるむことなくアクションを起こしたのは、「医師一家に生まれた人間としての思い」もあったのかもしれません。
また、鍼灸師という資格を得ることで独立・開業の可能性があるということも魅力でした。
私のいちばん上の兄は家庭内暴力が酷く、42歳で他界するまで、ずっと家で暴れていました。母や祖母を守るため、一緒に逃げることもしばしば。私がサラリーマンとして働くのではなく、独立を果たして自分で自由に生き方を決められるようになれば、母や祖母をより安心できる環境に置くことができるのではないか。そんな思いもありました。
鍼灸学校の入学試験は、私にとって本当に難易度の高いハードルでした。それでも結果的に私は合格し、入学することができました。奇跡に近いものだったと思っています。
入試では筆記試験のほかに、面接もありました。その場で言われたことを私ははっきりと覚えています。
面接官の先生は私に「どんな本が好きなの?」と聞きました。「歴史が好きです」と迷わず答えた私に、その先生は重ねて「織田信長と豊臣秀吉と徳川家康。この三英傑の中では誰が一番好きか」と問うたのです。
私は「徳川家康」と答えました。
自分は天才ではない。人を上手に使うことも自信がない。だから家康のように、コツコツと努力を積み重ねて生きていくしかない。
今にして思えば面接でのその会話は、入学後の私の学び方や覚悟といったものをセットしてくれたものだったのかもしれません。その後、晴れて鍼灸の学び舎に進んだ私は、人生で経験したことがないストイックで勤勉な日々を送ることになったのです。
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